先日、漫画家の広井てつおさんが亡くなられました。
またお気に入りの漫画家の新作が読めなくなった訳で。
まあ普通のマンガ読みには「広井てつお」って誰?でしょうが。
漫画家志望の方はひょっとして「マンガスーパーテクニック講座(美術出版社)」の古い奴で名前は知らないけど絵は知ってるという方もおられるかも知れませんね。
確かな画力(特に風景)も魅力でしたが、何よりも「単車と単車乗りのマンガ」をキチンと描ける、数少ない漫画家の一人だったと思います。
さてこの漫画家を紹介する、最も適切なテキストを発掘しました。
「Mr.BIKE」誌1988年4月号掲載の「COOL RIDER'S EYE」から転載。
ちょっと前の話だが「バイクマンガがブームだ!」という、今にしてみれば、ああ勘違いの命題があった。
(筆者注:『バリバリ伝説』『あいつとララバイ』を筆頭に、バイクマンガが少年誌の看板だった時代があったんです)
別に「バイクマンガ」はブームでもなんでもなかった。まあ「バイクが出てくるマンガ」のいくつかが、ヒットした事実はあったけれども。
とりあえず、日本マンガ史上(という言い方も、大げさこの上ないが)バイクマンガと称されるジャンルがブームになったことなど一度もない。
で、それはなぜかと言えば、たぶん「バイク」と言うメディアは、人に伝えるにはあまりにも、あやふやな物だから、ではないだろうか。
そんなバカな、なに言ってんだよ。現実に、鉄とアルミとプラスチックで、ほら、こうやって、バンバンと、手に触れられるじゃないか。どこがあやふやなんだよ。そう言うかもしれない。
だけど、そうやって手に触れられる物は、バイクの様で、実はバイクでもなんでもない、バイク以前の工作物に過ぎない。
ここが一番大事で、しかも、めんどくさいところだ。
バイクとは、バイクだけではバイクになれないのだ。ライダーが存在して、初めてバイクになれるのだ。
だから「バイクマンガ」が成立するためにはこの、ライダーとバイクの間に漂っている空気の色、みたいなものをキチンと(あいまいな物をキチンと描く、というのは、すごく変な表現だが)とらえなくては、いけないのだ。
多くの作家は、ここで失敗する。バイク単体のディティールにこだわりすぎたり、ライダーの個にふみ込みすぎたりする。そうなってはもう、それはバイクマンガではない。
広井てつおは、そのあいまいさをあいまいなままに把握し、彩りを添えて表現出来る、数少ない作家の1人だ。ためしに、「広井てつおのバイクマンガ」の主役は誰か、と問うてみよう。
少年でもなく、少女でもなく、老人でもなく、ましてや、バイク、でもない。
広井マンガの主役は、人間とバイクの間にただよう、空気の彩りである。だからこそ、広井てつおのマンガは正しく、バイクマンガなのだ。
そして、この表現しにくい部分を理解し得るのは、やはり同じライダーでしかない。本誌掲載を初めとする広井てつおのバイクマンガが、ライダーに大きな共感を持って支持されるのも、他の作者の作品には感じられない、この「空気の彩り」が、広井マンガには色濃く漂っているからだろう。
(以下略)
Mr.BIKE1988年5月臨時増刊「ライダーズラプソディ」発刊時に出された「広井てつおの解説」です。
斯様にバイク乗りも理屈を付け出すと中々にめんどくさいモンですが、「譲れない部分」ってのは確かにある訳ですよ。
まあ異論は有ると思いますが、バイクに乗り続けてふと感じる「空気」の匂いが、味が、雰囲気が分かる人間、つまりライダーに取ってはこの「解説」、非常に納得の行く話なんですよね。
この秋には単行本「W1ララバイ」が少年画報社から復刻されるという話もある様です(当然ワタクシオリジナルを持ってますが)。
もし興味を持たれた方は読んでみて下さい。そしてバイク自体に興味を持たれ、バイク乗りになられたなら、、、
「ようこそ、コチラ側へ」と言う事になりますな。おっと、作者が違うですがコチラもキチンと「バイクマンガ」を描かれる方なので広井てつおさんもお許し頂ける事でしょう。
さよなら、そしてご苦労様でした。
合掌。
またお気に入りの漫画家の新作が読めなくなった訳で。
まあ普通のマンガ読みには「広井てつお」って誰?でしょうが。
漫画家志望の方はひょっとして「マンガスーパーテクニック講座(美術出版社)」の古い奴で名前は知らないけど絵は知ってるという方もおられるかも知れませんね。
確かな画力(特に風景)も魅力でしたが、何よりも「単車と単車乗りのマンガ」をキチンと描ける、数少ない漫画家の一人だったと思います。
さてこの漫画家を紹介する、最も適切なテキストを発掘しました。
「Mr.BIKE」誌1988年4月号掲載の「COOL RIDER'S EYE」から転載。
ちょっと前の話だが「バイクマンガがブームだ!」という、今にしてみれば、ああ勘違いの命題があった。
(筆者注:『バリバリ伝説』『あいつとララバイ』を筆頭に、バイクマンガが少年誌の看板だった時代があったんです)
別に「バイクマンガ」はブームでもなんでもなかった。まあ「バイクが出てくるマンガ」のいくつかが、ヒットした事実はあったけれども。
とりあえず、日本マンガ史上(という言い方も、大げさこの上ないが)バイクマンガと称されるジャンルがブームになったことなど一度もない。
で、それはなぜかと言えば、たぶん「バイク」と言うメディアは、人に伝えるにはあまりにも、あやふやな物だから、ではないだろうか。
そんなバカな、なに言ってんだよ。現実に、鉄とアルミとプラスチックで、ほら、こうやって、バンバンと、手に触れられるじゃないか。どこがあやふやなんだよ。そう言うかもしれない。
だけど、そうやって手に触れられる物は、バイクの様で、実はバイクでもなんでもない、バイク以前の工作物に過ぎない。
ここが一番大事で、しかも、めんどくさいところだ。
バイクとは、バイクだけではバイクになれないのだ。ライダーが存在して、初めてバイクになれるのだ。
だから「バイクマンガ」が成立するためにはこの、ライダーとバイクの間に漂っている空気の色、みたいなものをキチンと(あいまいな物をキチンと描く、というのは、すごく変な表現だが)とらえなくては、いけないのだ。
多くの作家は、ここで失敗する。バイク単体のディティールにこだわりすぎたり、ライダーの個にふみ込みすぎたりする。そうなってはもう、それはバイクマンガではない。
広井てつおは、そのあいまいさをあいまいなままに把握し、彩りを添えて表現出来る、数少ない作家の1人だ。ためしに、「広井てつおのバイクマンガ」の主役は誰か、と問うてみよう。
少年でもなく、少女でもなく、老人でもなく、ましてや、バイク、でもない。
広井マンガの主役は、人間とバイクの間にただよう、空気の彩りである。だからこそ、広井てつおのマンガは正しく、バイクマンガなのだ。
そして、この表現しにくい部分を理解し得るのは、やはり同じライダーでしかない。本誌掲載を初めとする広井てつおのバイクマンガが、ライダーに大きな共感を持って支持されるのも、他の作者の作品には感じられない、この「空気の彩り」が、広井マンガには色濃く漂っているからだろう。
(以下略)
Mr.BIKE1988年5月臨時増刊「ライダーズラプソディ」発刊時に出された「広井てつおの解説」です。
斯様にバイク乗りも理屈を付け出すと中々にめんどくさいモンですが、「譲れない部分」ってのは確かにある訳ですよ。
まあ異論は有ると思いますが、バイクに乗り続けてふと感じる「空気」の匂いが、味が、雰囲気が分かる人間、つまりライダーに取ってはこの「解説」、非常に納得の行く話なんですよね。
この秋には単行本「W1ララバイ」が少年画報社から復刻されるという話もある様です(当然ワタクシオリジナルを持ってますが)。
もし興味を持たれた方は読んでみて下さい。そしてバイク自体に興味を持たれ、バイク乗りになられたなら、、、
「ようこそ、コチラ側へ」と言う事になりますな。おっと、作者が違うですがコチラもキチンと「バイクマンガ」を描かれる方なので広井てつおさんもお許し頂ける事でしょう。
さよなら、そしてご苦労様でした。
合掌。





